2003年 3月の日記
3月22日(土) パチンコ回顧録 西千葉ミナトホール(1)
西千葉駅近くには、もう一軒、ミナトホールという店があって、ヒルトンと比べればこちらの方が断然大きな
店だった。最初は古い感じのする店だったが、そのうちに改装をやり、たいそう立派になった。途中から、こち
らをメインにするようになった。3,000個定量で、2.3か2.5円交換だったかと思う。
改装をしてから、朝イチに激甘釘の台を10分間だけ打てる抽選をやるようになった。もちろん、全くの平
台だが、とにかく反則と思えるくらい天やサイド、落としの釘をひん曲げてあった。入りっぱなしで、10分間
で千発近くは出たと思う。当たりくじは、5本くらいだったが、けっこう打つことが出来たので、朝講義がない
日には、毎日のように通った。
この頃、好きだった台は、チューリップが中央に、縦3つ並んでいた台。仲間同士では、「タテ3つ」と呼ん
でいたが、正式には、「3連チュー」とかいう名前らしい。天穴から入賞すると3つ全部が開いた。上から順番
に入ってしまうと、最短3回で全部閉じてしまうが、下から順に入れば、最高で7回入賞できた。もちろん、弱
めに打てば、下の方から入りやすかったので、小技が利いた。
このミナトホールは、途中から釘に異常にメリハリをつけてきてくれたのだった。
3月11日(火) パチンコ回顧録 ちんどん屋が来た新装開店
浪人は、何とか1年ですみ、西千葉で生活するようになった。当時、駅の近くにヒルトンホールというパチ
屋があった。名前負けしている店で、設置台数は120台ほどの小さな店だった。手打ち式が多く残っていた
ので、最初は、この店によく通った。店長は、一目でハングル系とわかる人だった。
このパチ屋は、新装開店の時に、必ずちんどん屋が来ていた。ちんどん屋といっても、若い人は見たこと
がないかもしれない。派手に厚化粧をした人が、体を動かしながら、太鼓などの楽器を演奏して、人を呼び
込んでいた。だいたい3人来ていたが、年は50才以上だったと思う。並びながら、ちんどん屋を見るのが楽
しみだった。
昔の新台入替は、今のように月に何回もやるのではなく、数ヶ月に1度くらいのものだった。新装開店とも
言われた。開店時間も、平常のことはなく、12時とか、午後3時、あるいは夕方の5時か6時だった。入場
の方法も、人数を区切って入れたりせず、いっせいに入れるところがほとんどだった。並ぶ人数は、今よりず
っと少なかった。
ちんどん屋を呼んでいたパチ屋は、他には見たことがなかったが、数ヶ月に1度の新装開店は、どの店で
もお祭りみたいなものだった。新台はもちろん、他の台も甘いことが多く、勝っても数千円だったが、十分並
ぶ価値はあった。
3月5日(水) パチンコ回顧録 高田馬場浪人時代 その3
この頃、よく見たパチンコ台のメーカーは、西陣、平和、三共、マルホンなど。オール13タイプが多く、オ
ール11タイプは、あまり打つ気がしなかった。チューリップと、簡単な役物がついただけの台がほとんどで
あったが、しだいに、役物にいろいろな仕掛けを取り入れたり、台そのものも斬新な工夫をした物が登場し
てきた。
印象に残っているのは、西陣のテレパチ。CR機の液晶画面に当たる場所に、白黒テレビを取り付けたも
ので、イヤホンで聴くようになっていた。しかし、これは役物がないので打っていて面白くはなかった。パチ
屋によっては、各台の上にカラーテレビを設置した店もあったので、テレパチそのものに存在意味がなかっ
たりした。
もう一つは、平和の逆転パチンコ。これは、普通のパチンコ台の入賞口に当たる部分がすべてハズレ穴
になっていて、普通なら1番下のアウト玉になってしまう所までたどり着けば、玉が払い戻されるという逆転
の発想の台だった。ゲージ構成は、ほとんどがハズレ穴に入るようになっていたので、弱めに打ってもダメ
だった。これも、話題をさらったが、一度打てば飽きてしまった。
当時は、インベーダーゲームが大流行していた。大人までもが夢中になり、ゲームセンターや、これを置
いてあった喫茶店は満員であかないこともあった。パチ屋はだいぶお客をとられていた。このような状況の
中でパチンコメーカーは、ゲームに負けない機種の開発に全力を注いでいた。数年後には、羽根物やデジ
パチが登場することになる。
3月1日(土) パチンコ回顧録 高田馬場浪人時代 その2
当時は、手打ち式と電動式が混在していた時代。パチプロといえば、釘を見極め、電動式をも凌ぐ正確さ
で銀玉を打ち出す職人であった。私も、手打ち式の方を好んで打っていたが、しだいにそれも姿を消してい
った。今以上に釘読みが大切だったが、打ち止めになるような台を、はっきりと見極めることなど至難の技
であった。勝つために、(当たり前のものが多いが)次のような作戦を実行していた。
1.タバコの吸殻が多い台を狙う
2.新台入替狙い
3.開放台狙い
4.スランプの周期をつかむ
1については、デジパチでは通用しないが、昔はかなり参考になった。もちろん、1つの銘柄が多く残って
いる台だが、やはり釘をチェックして甘く見えなければ打たなかった。
2についてだが、当時の新台入替は、今とは全然違い、数ヶ月に1度くらいのもので、開店時間も12時と
か、夕方が多かった。新台はたいがい出したし、4日間くらいは甘いことが多かった。浪人生のぶんざいだ
ったので、並んだことはそんなにはなかったが・・・
3については、1度打ち止めになった台を打てるのだから、かなり有力だった。しかし、開放台でも、さっぱ
り出ない台があった。打ち止め台といっても、2時間くらいで打ち止めされた台もあれば、半日くらいかかっ
てなった台もある。早めに打ち止めされた台ならいいだろうと、1度チェックしてから開放台を狙ったり、何回
も打ち止めになった台を狙ったりもしたが、どうしても出ないことがあり謎だった。また、開放台ばかり狙った
りしていると、当然ながら店から嫌がられた。
4についてだが、平台には、出る時・出ない時・小康状態といった波が、確かに存在していた。上皿・下皿
が一杯になる頃に、600個くらいの玉が補給されたのだが、しばらくすると出なくなることが多かった。打ち
止めになるような台は、持ち玉が残っているうちにまた調子がよくなり、(本当に玉が吸い込まれるような感
じで入るようになり、出なくなると玉が暴れて入らなくなった。)それが何回も繰り返されるような感じだった。
遊び台といわれた台の中にも、この周期がはっきりとしていたものがあり、出始めれば上皿・下皿が一杯
にはなるのだが、それがほとんどなくなった頃に、また出始めるものがあった。その周期を見ていて、出そ
な時を狙って打っていたこともあった。しかし、これはすべての店には通用しなかったし、そのタイミングで台
が空くことなど、そんなにはなかった。
トータルでみれば、なんとか負けないようには打っていたと思う。打ち止めして、腕時計や電卓と交換して、
かなり嬉しかったことを覚えている。当時は、腕時計や電卓など簡単には買える物ではなかった。